2012年6月7日木曜日

自然との共存。決して自然の掟に逆らわない太魯閣族の人達


今日の秀林は暑い一日だった。
こんな日の吾輩の朝の顔は・・・・・


おやおや、今日も皆に吾輩の顔を拝ませてやる事ができないではない。
でも、山すその方に日が照っているのがわかるかなあ。こんな日はおおむね一日良い天気なんだよ。その証拠に、吾輩から見える太平洋側の風景は・・・・


ご覧の通り、少し海上に雲が出ているが、正に青空なんだよ。

吾輩のブログで時々登場する石だが、これらはすべて、秀林海岸で拾ったものだ。
今日の石など、普通の石のてっぺんに、一部、大理石化している部分があって、何かに似ていないかなあ。そう、「千と千尋の・・・・」の映画に出ていた顔なしとかいう奴に似ているだろう。

綺麗な模様をした石や、変わった形をした石、さらには、玫瑰石といって、赤やピンクの色をした石もある。
これもすべて自然がなせる業だ。


ご覧の様に、海岸には無数の石があり、太平洋の波で削られた、正に、自然の芸術作品といえるだろう。

実はこの秀林海岸、もう一つ、素晴らしい景色に出会える瞬間があるのだ。吾輩は毎朝、雲の切れ間からその景色を拝んでいる。太平洋から昇る朝日。


この景色は一度見たら忘れられない、本当に素晴らしい景色なのだ。

原住民の人達は昔から自然と上手く共存していく術を知っている。
適度に自然からの恵みを頂戴する。決して、過量に収穫しない。開拓しない。
自然からの恵みに感謝し、その分、自分達も自然を汚さないように努めている。
村全体が無農薬農法であるのもそのためだ。

畑も、作物を植え付ける部分しか触らない。植え付けを終えると、後は、自然のままに放置する。野菜であろうと、果物であろうと。自然のままだ。
草刈も牛を放牧し、草を食べさせる。そして、牛の糞が、土壌を豊かにしてくれる。
正に、「自然」中心のやり方だ。

そのおかげで、吾輩もこうやって、永年、この村を見守り続ける事が出来ている。
太魯閣族の皆さんに心から感謝している。


必要な部分だけ草を抜き、苗を植える



草は牛を放牧して牛に食べさせる。決して、除草剤など使用しない。




草むらの中によく見ると、パイナップルが育っている。その周りにはパパイヤが。
正に、自然農法!!農薬も化学肥料も一切使用しないのが太魯閣流の農法


その結果、作物だけではなく、様々な草花も育つ










一度は来て欲しい秀林部落。心癒されるよ!


昨日は少々話が固かったかもしれん。
今日は、ガラリの内容を変えて、吾輩がいつも見守っている秀林部落について話をしよう。

秀林部落は、台湾の原住民、太魯閣族の人達が住んでいる事は最初に話した通りだ。
自然豊かな場所で、朝は鳥たちの声で目覚め、夜は虫たちの声を聞きながら、時より、風向きによっては波の音が聞こえてくる。
正に、理想の部落と言えよう。

人は皆優しく、心温かい人たちばかり。都会生活で感じるプレッシャーとは無縁の場所と言えよう。

一つ難点を言えば、花蓮にしか生息しない、小さな蚊。目には見えないほどの蚊なのだが、こいつが少々厄介。何分にも、噛まれるとかなりカユイ。故に、当地に慣れるまでの間は、長袖を着ることを吾輩は薦める。
ある程度この蚊達の洗礼を受ければ、どうやら抵抗力がつくようで、噛まれた時は少々かゆみはあるが、すぐにおさまるようになる。

秀林の自慢といえば、種類の豊富な鳥と草花。とにかく種類が多い。
色鮮やかな鳥と草花は、観る者の心を癒してくれる。

これだけの自然が維持出来ているのも、部落の人達が意識的に無農薬農法を貫いていてくれるからだ。
この事には吾輩も感謝している。

人と自然とが上手く共存しているのが秀林部落と言えよう。

日本人からすれば、花蓮=太魯閣渓谷=ツアーで日帰りの観光地 程度しか知られていないが、是非、ゆっくりと秀林を味わってもらいたいものだ。
疲れた心身を癒してくれる部落であることは、この吾輩が保証しよう。

秀林部落を散策していると、各々の家の壁に、太魯閣族のシンボルでもある「精霊の眼」を模った装飾がなされていたり、部族の伝統を伝えるタイル画があったりする。
太魯閣族の文化・歴史を非常に大切にしている証でもあろう。

祖先から伝承されてきた事を大切にし、後世に伝え続けていく姿勢には吾輩も敬服する。

まあ、百聞は一見にしかずというから、一度は秀林に来てもらいたいものである。


太魯閣族のシンボル「精霊の眼」の模様の壁


太魯閣族の文化を伝えるタイル画



今朝の吾輩。今日も視界が悪い。久しく皆に顔を見せていないなあ。




この朝顔は野生




パパイヤの花




 
                        名前はわからないが、奇妙な花?





2012年6月5日火曜日

人それぞれに考え方は違うもの。認め合う事から始まるのでは・・・。


今日の秀林は昼前から雨。こんな日の朝は、吾輩の頂上付近にグレーの雲がまとわりつき、前が良く見なくて困る。



こんな感じになっている。

さて、今日のお話だが、吾輩が書いた内容にほとんどの日本の人達は反論するだろう。特に、お勤めしている人や経営者の皆さんからすれば、「きちんと物事を考え、企画・計画を立てた上で行動しなければ、失敗した時のダメージが大きい」と言われるだろうなあ。
その考え方、確かに素晴らしい。吾輩も認めている。

吾輩の考え方は、どちらかと言うと限りなく中華系(台湾人)的な考えに近いのかもしれない。
台湾では、まずは行動。行動しながら、軌道修正していくという考え方が多い。
理由は様々なあるが、やはり、「これは良い」と直感で感じたならば、いち早く行動に移さないと、誰かに先を越されてしまい、折角のチャンスを逃してしまうという考えが根本にあるようだ。

日本式の考え方、台湾式の考え方、どちらも吾輩は正解だと思う。

人にはそれぞれの考え方、手法がある。それを非難したり、否定したりするのではなく、まずは、きちんと理解し、認める。その上で、「自分はこういった考えです」と述べればいい。ただし、自分の述べた意見に相手を従わせようなどと思ってはいけない。争いの元になる。

皆、違う考えをして当たり前。産まれた場所も環境も違うのだから。皆が全く同じ考えをするとそれは人間ではなく、ロボットになってしまう。

如何に、近い考えにしていくかという努力をし、どうしても折り合いの合わない部分は、双方が妥協し合うか、決裂するかしかない。
例え決裂しても、相手を否定する言い方はやめて欲しいなあ。それはあまりにも醜い。

例の日本人家族が尊敬するある日本人の方がおっしゃったそうだ。「3年間同じ場所に住み続ければ、その人はもう、そこの人になっている。海外で3年間住み続ければ、その人はすでに現地化している。」とな。

どうやらあの日本人家族もすでに現地化しているようだ。結構、結構。

日本人としての誇りは捨てずに、でも、現地化し、現地の人に溶け込んでいく。結構な事ではないか。





2012年6月4日月曜日

身の丈にあった「欲」


今日の秀林は暑かった。

昨日は一日中雨だったけど、今日は朝からいい天気だった。
ただ、吾輩の頭の周りには相変わらず白いモヤモヤが漂っておって、下界からは吾輩の顔は見えなかった様だ。こういう日は、夕方から必ずスコールがある。と、思っていたら、案の定、スコール。
しかし、このスコールが、秀林の、花蓮の自然を豊かにしてくれているのだ。

話は変わるが、人間という生き物は実に「欲深い」生き物だと感じる。
まあ、だからこそ人間なのだろうが。

「欲」を持つなといっても、無理な事だ。「無欲な人間になりたい」と思う事、それ自体が「欲」なのだから。

比叡山で修行を積まれた僧侶の方々は、「無」の境地とは何か、「無欲」とは何かという世界を悟られた方々ばかりだろうが、一般人にはかなりハードルの高い世界のなのだろうと、吾輩はいつも下界を眺めている。

ならば、少し考え方を変えてみてはどうだろうか。

捨てられない「欲」ならば、無理して捨てる必要はない。しかし、自分の身の丈にあった「欲」に留めるのだ。「欲張って」しまってはいかん。欲張ってばかりいると、周りが見えなくなり、自分が欲しているものしか見えなくなる。しかも、その欲しているものが無限大に広がってしまう。
結果、残るのは「不満」。
「不満」を持って生きるなんて、折角の人生、楽しくも何ともなくなってしまう。それじゃ、人生損している。

吾輩の様に、何百年、何千年と生き続けていけるならばよいが、そうでないのが人間。
だったら、身の丈以上の「欲」を持たず、楽しくいきていく方がいいのではないだろうかなあ。
楽しく生きていれば、自然と身の丈も大きくなる。そうすれば、その身の丈にあった大きさの「欲」を新たに持てばよい。

てな事を考えしまう吾輩は、人間界でいう「おじさん、おばさん」になるのかもしれんな。

まあ良い。人間というのは考え方、価値観、全員が違うもの。だから、人間界って面白いのかもしれんなあ。


こんな雲の日は夕方からスコール



金魚草が野生で育っている秀林部落




2012年6月3日日曜日


今日の秀林部落は雨。秀林に降る雨は半端な雨ではない。降る時には徹底的に降る!というかんじである。
部落の目の前にそびえ立つ吾輩の姿も、さすがに今日は、部落の人達から見る事が出来ない位の大雨だ。

しかし、この雨が秀林部落に沢山の恵みを与えてくれる。その一つが台湾の中でもひときわ甘くて美味しい「台湾バナナ」である。
「台湾バナナ」と一口で言っても種類はいくつかあるを日本の皆は知っているだろうか。

まずは、普通のバナナ。これを中文では、「香蕉」と言う。外見は日本で売られているフィリッピン産のバナナとよく似ている。
次が「巴蕉」と呼ばれる小さいバナナ。日本ではモンキーバナナとして販売されている。
そして「アップルバナナ」。これはおそらく日本ではまだ販売されていないだろう。普通のバナナに比べ、粘りが少なく、少し固目。味は名前の通り、リンゴの味がほのかにする。バナナとリンゴの味と香りのコラボが何とも言えない旨味を引き出している。
この他に、真っ赤なバナナや、調理専用のバナナというのもある。

何れにしても、秀林のバナナは、贔屓目抜きで台湾で一番美味しいバナナである。

例の日本人家族もこのバナナにほれ込み、この部落に引っ越しをしてきた様なものだ。
旦那と嫁は、今、このバナナを使った新しい製品の開発を行っている。この開発が成功すれば、秀林に新しい産業を誕生させる事が出来、新しい雇用を生み出せる訳だ。
何とか頑張ってもらいたいものだ。

秀林部落の良いところは、自分達が栽培し、収穫した作物は、必ず、おすそ分けをする事。
決して自分達だけで食べる事はない。
現に、日本人家族は秀林に引っ越してから、野菜・果物を購入したことがほとんどない。
常に誰かが何かを持って来てくれる。特に、バナナに関しては、今まで生きて来て食べた量をわずか1か月ほどで越えたと感じるほどの量を食べている。
しかし、不思議なもので、秀林のバナナは、いくら食べても飽きない。

まあ、これも、吾輩が部落に恵んでいる豊富なきれいな水と栄養分たっぷりの土のおかげであろう。
だから、部落の人達もその事に感謝して、すべての作物、無農薬である。特別な決まり事がある訳ではない。
「作物を栽培する際、人体にも自然界にも有害な農薬を使ってまで作物を栽培する必要はない。虫食いがあっても構わない。それは、ここで農作物を栽培させてもらっている事に対する自然への感謝とおすそ分けだと思えばよい」
というのが部落の人達の考えだ。

太魯閣族は常に自然を大切にし、吾輩、トンガリ山を大切にしてくれている。だから、吾輩も、そのお礼を彼らに与えている。

ただ最近、都会からくる観光客や中国人観光客が、ゴミやタバコのポイ捨てを平気でしたり、他の地域の屋台の業者がゴミを無断で川に捨てて行ったりする。これには吾輩も頭を痛めておる。

今日はこのぐらいでお話はやめておこう。




今日は吾輩の勇士をご覧頂けず残念!



秀林部落には至る所にバナナの木がある。そのほとんどが、自家消費用だ。



まず、この様な大きな実を付ける。この実の皮一枚一枚に、バナナの赤ちゃんが入っている




実の皮の中にはベビーバナナが



先っぽの黄色い部分が花。これが成長して緑色になり黄色になる



立派に育ったバナナ(香蕉)



下が収穫したばかりバナナ(香蕉)上の2つが巴蕉。香蕉は後10日ほど軒下に吊り下げておけば、黄色く熟し、甘みを増す。ガスを使って熟させる方法に比べ、甘みが倍近く増す。
巴蕉の方は熟した状態。すっごく甘くて、味は正にフルティーという表現がぴったりの味。バナナの概念を変えてくれる出会い。




これが今、秀林でも人気のアップルバナナ。中の実が大きくなり過ぎ、皮を破ってきている。こうなれば、食べ頃。

2012年6月2日土曜日

やっぱり変わり者の家族だ


昨日は秀林部落に引っ越ししてきた、ちょっと変わった日本人家族の旦那の事で長話をし過ぎてしまった。
まあ、人にはそれぞれの過去があるものだ。一つ一つの出来事が積み重なって、「人生」というものを形成していくのが人間だからなあ。

さてさて、旦那のその後を手短に話すとしよう。この旦那の三十代の人生は、正に暗黒の10年だった様だな。30歳の時に父親が死去。その8年後に今度は母親が死去。あっと言う間に、最愛の両親を失った。そして、39歳の時に例の辞表。

40歳になって旦那は起業し、同時に、芸能界に首を突っ込んだ。「社長」の顔と「芸能人」の顔の二つの顔を持った訳だ。
「社長」の顔の方は、事業もそれなりに順調にいっていた。「芸能人」の顔の方は・・・・、芸能界という世界、そんなに甘い世界ではない。そんな事は百も承知であった旦那。最初はエキストラからスタートし、徐々にセリフ付の役を貰う様になっていった。
とはいうものの、所詮は関西のローカル事務所所属の大部屋俳優。ベテラン俳優さん達からすれば、中年オヤジの道楽程度のものでしかない。
全国ネットの番組や映画では、脇役の脇役。主役を演ずる事ができるのはせいぜい、再現ドラマぐらい。後は、舞台に出演したり、ナレーションしたり。
でも、本人は結構楽しんでいた様だ。今まで画面でしか見たことのない俳優さんとも会えるし、素顔というか、その人物像も観察出来る。まあ、画面の顔が如何に虚像であるかを間近で感じる事が出来た。それに、昨日、刑事になったかと思うと、今日はやくざに。明日は医者にと、色々な顔になれたし、スタッフの皆さんや、ベテラン俳優さん達とのロケ弁タイムも楽しかったようだ。

しかし、一見、楽しく、好き勝手やっている様に見えた40代であったが、常に心の奥底にモンモンとした何かがあった。

ある日、嫁から「本当はやりたい事があるのでしょう。」と聞かれた旦那。しばらく沈黙が続いた後、旦那の口から出たのが「台湾に戻りたい。台湾でもう一度勝負したい」
嫁は顔色一つ変えずに「じゃ、行こう」 「おいおい、近所に買い物に行くのとは訳が違うのだぞ。
海外だぜ。」と旦那は言うが、嫁は「本当にやりたい事をやって失敗しても後悔はしない。でも、やりたい事を我慢して、それで成功しても、いつも心の奥底に後悔が残るよ。」
この嫁、なかなか度胸がある。肝っ玉母ちゃんだ。

てな訳で、旦那の49歳の誕生日に、一家で台湾に移住してきた。

旦那が旦那なら嫁も嫁。そしてここの娘もこれまた変わっている。
中学を卒業した娘、日本の高校へは進学せず、台湾の高校へ行きたいと言いだした。
そのためには、まずは言葉を完璧にするために、台湾の小学校からやり直すと言うではないか。
台湾は日本以上に教育レベルが高く、日本の中学の数学は、台湾の小学校の段階で終了している。入試も非常にハードルは高い。
傍で聞いていた吾輩ですら「本気か?」と思ったのに、そこは変わり者の両親。「本気でそうしたいなら、ガンバレ!応援はするから」と娘に。
やれやれ、本当に変わった日本人家族が秀林に来たもんだ。

これからこの家族、どんな人生を歩むのやら。秀林部落同様、この家族も見守っていく事にしよう。


       今日も視界不良。でも、吾輩から見た秀林部落は雲一つない、快晴だ!



                           秀林部落に咲く花

2012年6月1日金曜日


私が見守り続けている秀林部落は、今は梅雨の真っただ中。
いやー、ここんところ本当によく雨が降った。今朝も、吾輩の頂上部分は雲に隠れていて視界があまり良くない。
秀林の雨の降り方は、日本の「ゲリラ豪雨」と呼ばれる様な大雨が一日中降り続く。
まあ、この雨、人間達にとっては大変だろうが、私達自然界の者たちには恵みの雨だ。
この雨によって、新たな生命がどんどん誕生している。

そうそう、ここ秀林は「花の村」と呼んでもいいぐらいに、様々な花が咲き誇っている。
秀林部落に移住した日本人家族も毎朝、散歩しながらこの花々の写真を撮影している。腕前の方は別として、地元の人間が見過ごしてしまいそうな小さな草花達にまでカメラを向け、撮影しているようだ。
このブログの中でも、その写真を拝借して、秀林の草花達の紹介もしていくことにしよう。
但し、草花の名前は聞かんで欲しい。知りたければ自分で調べるように。

今朝は梅雨の中休みといったところだろう。「晴れ!!」とまではいかないが、雨は降っていない。

そんな中、あの日本人夫婦が毎朝の日課である散歩に出かけて行った。この夫婦、雨の日も傘をさして散歩に出かけている。よほど、秀林が気に入ったようだ。結構な事である。

ここで簡単に、この家族についての説明をしておこう。吾輩も詳しい事は知らんが、旦那の方は、昔、台湾で生活していた事があるそうだ。日本に戻ってからは、某大手の清掃用品レンタル会社に就職。国際事業本部に配属となり、台湾支店の担当を経て、香港・中国の市場開発担当をしていたらしい。
しかし、会社の突然の経営方針変更で、国際事業本部は閉鎖。香港で支店開設の準備に奮闘していた彼の元にも一報が入り、急遽、帰国。帰国後、彼は自分の部署が閉鎖になる事、次は、国内支店勤務になる事を告げられたそうだ。
会社の決定はすぐに実施され、彼は、大阪南部の支店に配属となった。その後は、大阪北部の支店に転勤。そして京都の支店への転勤となった。この京都の支店への転勤が彼の運命を大きく変えた。
元々彼は、営業成績が常にトップを走るやり手の営業マンだったが、その営業手法は、少し他の連中とは違っていて、人脈作り=営業活動=営業成績向上 という彼なりのやり方があった様だ。
故に、彼の営業場所は、顔なじみとなった数件の喫茶店だった。
まあ、その詳細はここで語っても仕方ないし、吾輩も興味はない。
ただ、この彼の手法を面白くないと思っていた人物がいた。支店長だ。
彼が配属になるまでは、周りの部下達は、本音は別として、一応は支店長の営業方針に従って活動していた。しかし、彼は違った。
彼は台湾生活で染みついた「本音でぶつかる」という部分があり、事あるごとに支店長とぶつかっていた。
ある日、その支店長が京都支社の支社長に昇格し転勤。彼もホッとした。
一方、支社長に昇格して京都に転勤になったオヤジであったが、支社直轄の支店の営業成績が最悪の状態だった。原因は、やる気のない加盟店達にあった。言い方は悪いが「不良加盟店」というレッテルを貼られ、支店側・支社側は、出来うるならば、加盟店契約解除の機会を窺っていたようだ。
しかし、支社直轄の支店。下手に加盟店契約解除をすれば、自分の責任も問われる。キャリアにも傷が付く。
そこで、登場したのが、彼だ。毎日のように言い争いをしていたオヤジが京都に行き、ホッしていた彼に、地獄からのお呼びがかかった。京都支店への転勤だ。
彼は本部から呼び出しを受け、京都支店へ転勤するように命じられた。そこで、彼は呼び出した本部の本部長を相手に「何故、京都支店へ転勤するのか。その理由を伺いたい」と質問をぶつけた。ぶつけられた本部長にすれば、今までこの様な質問をする社員がいなかった様で返答に困っていたらしい。結局、本部長殿は、訳が解るような解らんような説明をしたらしい。彼はその回答でだいたいの事は察したらしい。そこで、彼は本部長に「私が京都支店に配属になり、不良加盟店を優良加盟店にしたら、京都支社長を本部に栄転させて欲しい。ただし、栄転する部署は、一切、現場に口出し出来ない部署にして欲しい」という条件を出したそうだ。これには本部長も驚いたそうだ。
まあ、その後はどうなったかは、読者のみなさんの想像力にお任せしよう。いずれにせよ、彼は、敵陣の京都支店へ乗り込んだ。
支店側は、まず、支店内の加盟店をグループに分け、グループごとに指導責任者を配置させた。当然、彼は、「不良加盟店グループ」の責任者を命じられた。
ここからの事を書きだすと、一冊の本が出来上がる様な内容なので、ここでは省略するが、結果として、不良加盟店達がやる気を起こし、支店主催の営業成績によるレースでみごと、ダントツで一位を獲得した。
ここで焦ったのが支社長殿と支店長殿だ。営業方針の変更という理由で、グループ分けを中止、彼を営業現場から遠ざけようとした。
その際の支社長・支店長殿の「元不良加盟店」に対する言動に、彼はついにブチ切れた。
支社長室の応接机をひっくり返し、大暴れした。よほど我慢が出来なかったのだろう。
翌日、彼は辞表を持って本部に出向き、本部長に辞表を提出。本部長は引き止めに入ったが、彼は「自分のやった事の責任は取ります。但し、本部長も約束は守って欲しい」とだけ言い残して会社を去ったそうだ。この瞬間、年収950万円がぶっ飛んだ。
彼はこのサラリーマン生活で、「やはり自分の生きる場所は日本ではなく、台湾だ」と確信したらしい。
おやおや、旦那の事を紹介していたら、こんなに長話になってしまった。今日はここまでにしよう。

まあ、徐々に、この一風変わった日本人家族の全貌を明らかにしていこう。先はまだ長い。


                    秀林では至る所に咲いている花。