2012年9月26日水曜日

太魯閣族の人達について

吾輩が鎮座する花蓮県秀林郷は、台湾全国の中でも最も大きい郷である。人口の85%が太魯閣族。
秀林郷で最も有名な場所といえば、やはり太魯閣渓谷だろう。その太魯閣渓谷の山深くに太魯閣族の人達はもともと住んでいた。女性は結婚すると顔に刺青をした。これは漢人に妻を奪われないようするため。
日本統治時代に日本軍の命令でほとんどの太魯閣族の人達が山を下り(下ろされ)平地に住み始めた。その代表的な場所が秀林村である。
秀林村の99%は太魯閣族である。たった一世帯、太魯閣族でもなければ、平地人(太魯閣族の人は原住民以外の台湾人を平地人と呼ぶ)でもない世帯がある。それが例の日本人家族である。

部落内には夫が太魯閣族で妻が日本人という世帯が一世帯、逆に、妻が太魯閣族で夫が日本人という世帯が一世帯あるが、後者の夫が日本人という方は、現役を引退してこちらに来た人だ。
家族全員日本人という世帯はあの旦那と嫁と娘の世帯だけである。
しかしながら、この日本人家族、部落の人から見ても日本人には見えず、どうみても原住民にしか見えないようだ。色は黒く日焼けし、何事も本音で語り、変な遠慮もせず、性格もあっさりしている。彼らが知っている日本人とは程遠いようである。まあ、だからこそ、部落の中で生きていけるのだろう。

吾輩が見守り続けている秀林村だが、日本統治時代には、沢山の日本人が住んでいた。日本人住居区があり、木造の風情のある家屋が並んでいた。戦後、国民党がやってきて、これら全ての日本人住居を取り壊した。秀林村にあった「秀林神社」も取り壊された。
秀林村からは日本統治時代の色は一切消されたのだ。当然、太魯閣族の人達にとっても当時は大変だった。日本統治時代は日本語教育。家に帰れば太魯閣語。しかし、国民党がやってきて、昨日まで日本語教育だったのが、突然、北京語教育に変わった。教師はすべて蒋介石と共にやってきた外省人(台湾では彼らを外省人と呼ぶ)。子供たちは先生が何を話しているのか全くわからなかったそうだ。
歴史も中国大陸の歴史ばかり。台湾の歴史はすべて抹殺されてしまった。最近になってやっと歴史の授業内容が大幅に見直され、台湾の歴史について勉強するようになったのだ。
日本では考えられないことである。

一時、今は野党の民進党が政権を握ったが、その後また国民党政権に変わった台湾。
原住民の人達は、原住民というだけで数多くの差別を受けている。その内容の一部を後日また紹介しよう。

吾輩は差別されても力強く生きている太魯閣族を見続けてきた。そしてこれからも見守り続ける。
このブログを通して、日本の諸君にも少しでも太魯閣族の事を知って貰えれば、そして、「一度、秀林へ行ってみたい」と思って貰えれば嬉しく思う。
その時は是非、生の吾輩を見て欲しい。秀林村からならば吾輩を一望することができるからな。

【今日の吾輩】

 
 
【今、秀林村で咲いている草花たち】

 



 

1 件のコメント:

  1. 先日十分に行こうとして、間違って台北から太魯閣駅ノンストップの急行に乗ってしまい太魯閣駅で1時間過ごし台北方面に戻りました。とっても空気が良く今度また台湾に行けたらこの地を訪れようと誓いました。どんなところか帰国後調べたら、日本人が脳天気に観光できる場所では無かったんですね。これからは歴史を学んでまたこの地へ訪れたいと思います。2012年の記事ですね。ありがとうございました。

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