2012年7月8日日曜日

感情的になって交渉したらアカンで!


人は生きていく上で、様々な場面で交渉を行っている。ビジネスの場面での交渉はもちろんの事、私生活においても交渉を行っている。
人が交渉という行為をするのは、皆、それぞれに価値観の違う者同士が生きているから、当然の行為として交渉を行う。
しかし、この交渉で一番厄介なのは、感情を出して交渉を行う人だ。
日本人はどうしても交渉事に感情を持ち込むケースが多いようだ。まずは、責任者の謝罪を求める。会社側の謝罪を求める。謝罪に誠意がないと感じると、何度も何度も謝罪を求める。
そして、「いったいどうやって責任を取ってくれるんだ」と一方的に相手を責め立てる。
最後は「法的手段に訴える」という脅し文句がおまけとしてついてくる。
これは交渉とは言えない。
交渉を行うのなら、まず、この交渉で何を求めるのかを見定め、その最終目標を達成する事だけに専念しなければならない。
例えば、賠償金を求めるのならば、その事だけに集中し、さっさと交渉に入るべきではないだろうか。責任者・会社に謝罪を求めたところで、それは最終目的である賠償金に何ら影響をもたらさない。その時間が無駄なだけである。
非常にシビアな対応に思えるかもしれないが、結果的にその方が双方にとって良い結果を生み出せる。
それと、交渉するにあたっては、決して、自分の言い分を100%相手に押し付けるだけでは交渉にならない。
例えば、商品の価格交渉をする際に、自分達はこの価格で商品を販売したいと考えている。しかし、先方からの希望購入価格がかなり安かった場合、日本人は「無理です」「無理です」の一点張りである。これでは交渉にもならない。如何に自分の希望価格に近い価格で決着をつけるかという事に知恵を使おうとしない。交渉は相手のあること。故に、絶対と言っていいほど、自分達の思い通りには進まないものだ。相手の立場も考慮に入れ、双方が歩み寄れる点を見つけ出す事が交渉である。また、逆もまた真なりで、ある程度交渉を続けていたが、そうしてもお互いの接点(妥協点ではない)が見つけ出せない時は、思い切って、交渉を打ち切るという決断もまた必要となる。
台湾人社会で生きている旦那は、台湾人交渉術を学んできた。故に、どうも、日本人との交渉では、相手の真意がなかなか見えないと愚痴っていた。日本人は非常に曖昧という事が好きなようだな。日本国内のビジネスではそれでも良いだろうが、国際ビジネスとなると、この日本人の曖昧に頭を痛めているそうだ。日本語には通訳不能の言葉も多く、それを商談で連発された時には、いったい、相手が何を言いたいのかさえもわからない時があるようだ。しかし、台湾側も日本側も、旦那を日本人として見ているから、日本側としては「同じ日本人なんだからわかって当たり前だろう」と思うし、台湾側としては「同じ日本人としてどうして相手の趣旨がわからない」と思うそうだ。
しかし、旦那に言わせれば、自分は日本人の皮を被った、台湾人だ!と言いたいそうだ。

まあ、これから諸君も様々な場面で交渉を行うだろうが、まずは、その交渉の最終目標はどこかをしっかりと見定め、それにのみ専念する事と、相手の立場も理解し、お互いの接点を見つけ出す事に専念するべきだと吾輩は思うのだがな。

ところで、話は全く変わるが、昨日は七夕だったな。吾輩の秀林部落の夜空には、無数の星が出ておった。吾輩も旦那や嫁達と一緒に、天の川を探したが、結局見つからなかった。
どこにいったのだろう???

今日は吾輩は相変わらずだが、秀林部落自体は非常に良い天気だった。途中、吾輩の後ろの方の山々から雷音が聞こえていたが、秀林部落にまでは来なかったようだ。



秀林部落の隣の順安部落では朝からお祭りがあったようで、派手に爆竹がなっていた。そう言えば、順安部落には廟があったなあ。きっとあそこの神様のお祭りだったのだろう。
吾輩の顔の周りの雲さえなければ、見ることが出来たのに。残念だ・・・・・・・。









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