2012年6月2日土曜日

やっぱり変わり者の家族だ


昨日は秀林部落に引っ越ししてきた、ちょっと変わった日本人家族の旦那の事で長話をし過ぎてしまった。
まあ、人にはそれぞれの過去があるものだ。一つ一つの出来事が積み重なって、「人生」というものを形成していくのが人間だからなあ。

さてさて、旦那のその後を手短に話すとしよう。この旦那の三十代の人生は、正に暗黒の10年だった様だな。30歳の時に父親が死去。その8年後に今度は母親が死去。あっと言う間に、最愛の両親を失った。そして、39歳の時に例の辞表。

40歳になって旦那は起業し、同時に、芸能界に首を突っ込んだ。「社長」の顔と「芸能人」の顔の二つの顔を持った訳だ。
「社長」の顔の方は、事業もそれなりに順調にいっていた。「芸能人」の顔の方は・・・・、芸能界という世界、そんなに甘い世界ではない。そんな事は百も承知であった旦那。最初はエキストラからスタートし、徐々にセリフ付の役を貰う様になっていった。
とはいうものの、所詮は関西のローカル事務所所属の大部屋俳優。ベテラン俳優さん達からすれば、中年オヤジの道楽程度のものでしかない。
全国ネットの番組や映画では、脇役の脇役。主役を演ずる事ができるのはせいぜい、再現ドラマぐらい。後は、舞台に出演したり、ナレーションしたり。
でも、本人は結構楽しんでいた様だ。今まで画面でしか見たことのない俳優さんとも会えるし、素顔というか、その人物像も観察出来る。まあ、画面の顔が如何に虚像であるかを間近で感じる事が出来た。それに、昨日、刑事になったかと思うと、今日はやくざに。明日は医者にと、色々な顔になれたし、スタッフの皆さんや、ベテラン俳優さん達とのロケ弁タイムも楽しかったようだ。

しかし、一見、楽しく、好き勝手やっている様に見えた40代であったが、常に心の奥底にモンモンとした何かがあった。

ある日、嫁から「本当はやりたい事があるのでしょう。」と聞かれた旦那。しばらく沈黙が続いた後、旦那の口から出たのが「台湾に戻りたい。台湾でもう一度勝負したい」
嫁は顔色一つ変えずに「じゃ、行こう」 「おいおい、近所に買い物に行くのとは訳が違うのだぞ。
海外だぜ。」と旦那は言うが、嫁は「本当にやりたい事をやって失敗しても後悔はしない。でも、やりたい事を我慢して、それで成功しても、いつも心の奥底に後悔が残るよ。」
この嫁、なかなか度胸がある。肝っ玉母ちゃんだ。

てな訳で、旦那の49歳の誕生日に、一家で台湾に移住してきた。

旦那が旦那なら嫁も嫁。そしてここの娘もこれまた変わっている。
中学を卒業した娘、日本の高校へは進学せず、台湾の高校へ行きたいと言いだした。
そのためには、まずは言葉を完璧にするために、台湾の小学校からやり直すと言うではないか。
台湾は日本以上に教育レベルが高く、日本の中学の数学は、台湾の小学校の段階で終了している。入試も非常にハードルは高い。
傍で聞いていた吾輩ですら「本気か?」と思ったのに、そこは変わり者の両親。「本気でそうしたいなら、ガンバレ!応援はするから」と娘に。
やれやれ、本当に変わった日本人家族が秀林に来たもんだ。

これからこの家族、どんな人生を歩むのやら。秀林部落同様、この家族も見守っていく事にしよう。


       今日も視界不良。でも、吾輩から見た秀林部落は雲一つない、快晴だ!



                           秀林部落に咲く花

0 件のコメント:

コメントを投稿