2012年6月4日月曜日

身の丈にあった「欲」


今日の秀林は暑かった。

昨日は一日中雨だったけど、今日は朝からいい天気だった。
ただ、吾輩の頭の周りには相変わらず白いモヤモヤが漂っておって、下界からは吾輩の顔は見えなかった様だ。こういう日は、夕方から必ずスコールがある。と、思っていたら、案の定、スコール。
しかし、このスコールが、秀林の、花蓮の自然を豊かにしてくれているのだ。

話は変わるが、人間という生き物は実に「欲深い」生き物だと感じる。
まあ、だからこそ人間なのだろうが。

「欲」を持つなといっても、無理な事だ。「無欲な人間になりたい」と思う事、それ自体が「欲」なのだから。

比叡山で修行を積まれた僧侶の方々は、「無」の境地とは何か、「無欲」とは何かという世界を悟られた方々ばかりだろうが、一般人にはかなりハードルの高い世界のなのだろうと、吾輩はいつも下界を眺めている。

ならば、少し考え方を変えてみてはどうだろうか。

捨てられない「欲」ならば、無理して捨てる必要はない。しかし、自分の身の丈にあった「欲」に留めるのだ。「欲張って」しまってはいかん。欲張ってばかりいると、周りが見えなくなり、自分が欲しているものしか見えなくなる。しかも、その欲しているものが無限大に広がってしまう。
結果、残るのは「不満」。
「不満」を持って生きるなんて、折角の人生、楽しくも何ともなくなってしまう。それじゃ、人生損している。

吾輩の様に、何百年、何千年と生き続けていけるならばよいが、そうでないのが人間。
だったら、身の丈以上の「欲」を持たず、楽しくいきていく方がいいのではないだろうかなあ。
楽しく生きていれば、自然と身の丈も大きくなる。そうすれば、その身の丈にあった大きさの「欲」を新たに持てばよい。

てな事を考えしまう吾輩は、人間界でいう「おじさん、おばさん」になるのかもしれんな。

まあ良い。人間というのは考え方、価値観、全員が違うもの。だから、人間界って面白いのかもしれんなあ。


こんな雲の日は夕方からスコール



金魚草が野生で育っている秀林部落




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