2012年6月1日金曜日


私が見守り続けている秀林部落は、今は梅雨の真っただ中。
いやー、ここんところ本当によく雨が降った。今朝も、吾輩の頂上部分は雲に隠れていて視界があまり良くない。
秀林の雨の降り方は、日本の「ゲリラ豪雨」と呼ばれる様な大雨が一日中降り続く。
まあ、この雨、人間達にとっては大変だろうが、私達自然界の者たちには恵みの雨だ。
この雨によって、新たな生命がどんどん誕生している。

そうそう、ここ秀林は「花の村」と呼んでもいいぐらいに、様々な花が咲き誇っている。
秀林部落に移住した日本人家族も毎朝、散歩しながらこの花々の写真を撮影している。腕前の方は別として、地元の人間が見過ごしてしまいそうな小さな草花達にまでカメラを向け、撮影しているようだ。
このブログの中でも、その写真を拝借して、秀林の草花達の紹介もしていくことにしよう。
但し、草花の名前は聞かんで欲しい。知りたければ自分で調べるように。

今朝は梅雨の中休みといったところだろう。「晴れ!!」とまではいかないが、雨は降っていない。

そんな中、あの日本人夫婦が毎朝の日課である散歩に出かけて行った。この夫婦、雨の日も傘をさして散歩に出かけている。よほど、秀林が気に入ったようだ。結構な事である。

ここで簡単に、この家族についての説明をしておこう。吾輩も詳しい事は知らんが、旦那の方は、昔、台湾で生活していた事があるそうだ。日本に戻ってからは、某大手の清掃用品レンタル会社に就職。国際事業本部に配属となり、台湾支店の担当を経て、香港・中国の市場開発担当をしていたらしい。
しかし、会社の突然の経営方針変更で、国際事業本部は閉鎖。香港で支店開設の準備に奮闘していた彼の元にも一報が入り、急遽、帰国。帰国後、彼は自分の部署が閉鎖になる事、次は、国内支店勤務になる事を告げられたそうだ。
会社の決定はすぐに実施され、彼は、大阪南部の支店に配属となった。その後は、大阪北部の支店に転勤。そして京都の支店への転勤となった。この京都の支店への転勤が彼の運命を大きく変えた。
元々彼は、営業成績が常にトップを走るやり手の営業マンだったが、その営業手法は、少し他の連中とは違っていて、人脈作り=営業活動=営業成績向上 という彼なりのやり方があった様だ。
故に、彼の営業場所は、顔なじみとなった数件の喫茶店だった。
まあ、その詳細はここで語っても仕方ないし、吾輩も興味はない。
ただ、この彼の手法を面白くないと思っていた人物がいた。支店長だ。
彼が配属になるまでは、周りの部下達は、本音は別として、一応は支店長の営業方針に従って活動していた。しかし、彼は違った。
彼は台湾生活で染みついた「本音でぶつかる」という部分があり、事あるごとに支店長とぶつかっていた。
ある日、その支店長が京都支社の支社長に昇格し転勤。彼もホッとした。
一方、支社長に昇格して京都に転勤になったオヤジであったが、支社直轄の支店の営業成績が最悪の状態だった。原因は、やる気のない加盟店達にあった。言い方は悪いが「不良加盟店」というレッテルを貼られ、支店側・支社側は、出来うるならば、加盟店契約解除の機会を窺っていたようだ。
しかし、支社直轄の支店。下手に加盟店契約解除をすれば、自分の責任も問われる。キャリアにも傷が付く。
そこで、登場したのが、彼だ。毎日のように言い争いをしていたオヤジが京都に行き、ホッしていた彼に、地獄からのお呼びがかかった。京都支店への転勤だ。
彼は本部から呼び出しを受け、京都支店へ転勤するように命じられた。そこで、彼は呼び出した本部の本部長を相手に「何故、京都支店へ転勤するのか。その理由を伺いたい」と質問をぶつけた。ぶつけられた本部長にすれば、今までこの様な質問をする社員がいなかった様で返答に困っていたらしい。結局、本部長殿は、訳が解るような解らんような説明をしたらしい。彼はその回答でだいたいの事は察したらしい。そこで、彼は本部長に「私が京都支店に配属になり、不良加盟店を優良加盟店にしたら、京都支社長を本部に栄転させて欲しい。ただし、栄転する部署は、一切、現場に口出し出来ない部署にして欲しい」という条件を出したそうだ。これには本部長も驚いたそうだ。
まあ、その後はどうなったかは、読者のみなさんの想像力にお任せしよう。いずれにせよ、彼は、敵陣の京都支店へ乗り込んだ。
支店側は、まず、支店内の加盟店をグループに分け、グループごとに指導責任者を配置させた。当然、彼は、「不良加盟店グループ」の責任者を命じられた。
ここからの事を書きだすと、一冊の本が出来上がる様な内容なので、ここでは省略するが、結果として、不良加盟店達がやる気を起こし、支店主催の営業成績によるレースでみごと、ダントツで一位を獲得した。
ここで焦ったのが支社長殿と支店長殿だ。営業方針の変更という理由で、グループ分けを中止、彼を営業現場から遠ざけようとした。
その際の支社長・支店長殿の「元不良加盟店」に対する言動に、彼はついにブチ切れた。
支社長室の応接机をひっくり返し、大暴れした。よほど我慢が出来なかったのだろう。
翌日、彼は辞表を持って本部に出向き、本部長に辞表を提出。本部長は引き止めに入ったが、彼は「自分のやった事の責任は取ります。但し、本部長も約束は守って欲しい」とだけ言い残して会社を去ったそうだ。この瞬間、年収950万円がぶっ飛んだ。
彼はこのサラリーマン生活で、「やはり自分の生きる場所は日本ではなく、台湾だ」と確信したらしい。
おやおや、旦那の事を紹介していたら、こんなに長話になってしまった。今日はここまでにしよう。

まあ、徐々に、この一風変わった日本人家族の全貌を明らかにしていこう。先はまだ長い。


                    秀林では至る所に咲いている花。

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